2016年8月25日木曜日

第17回 建築家 野田恒雄さん

<<人環SCD 第17回(2016年8月20日)>>

プレゼンター:建築家 野田恒雄さん no.d+a(number of design and architecture)
       横浜市都市整備局横浜市都市デザイン室 デザイン専門職(2014~)

店舗や舞台美術・展覧会・イベントのデザイン・ディレクションのほか、no.d+aと同年に立ち上げたTRAVELERS PROJECTにて「冷泉荘(’06.4.~’09.3.終了済)」「345project(’07.4.~’09.3.終了済)」「紺屋2023(’08.4.~’24.3.予定)」等の建物再生企画・運営を行い、書評・寄稿・講演なども行っています。(一部をno.d+a(number of design and architecture)より抜粋させていただきました。 
        
<<まとめ>>

●野田さんの行われてきた多くのプロジェクトについてと、それらを通して考えられてきたことを伺いました。

 「建築」を新築としての建物をデザインするだけではなく、建物を「再生」し、その後の新たな使い方を含めたデザインをする。野田さんの手法は「建物」のみで終わるのではなく、「場をつくる」ことに軸を置く。そのため新たなプロジェクトやデザインをする時には、その場所の歴史、風土、人々の関係性、と過去から未来において長いスパン、大きな視野で捉える。そして「創造性、持続性、多様性」といった価値が生まれることを意識している。そうしたソフトに重きを置くことは「小島ゼミ生」とも視線を同じくする部分があると感じた。

 まちはつくろうとして造っていくものではなく、そこにいる人達の意識が高ければ自然に良くなっていくものである。ただし、様々なやり方があり、大規模で財政も豊かな都市は公的に人を集めて企画していったり、自然発生的に「もっとこうだったらいいな」という発想から始まるものもある。そうしたことを踏まえて言えば、新たな関係性や、創造性が生まれていく場づくりには先述の「長いスパンと大きな視野」は大変重要なことだとわかる。

 野田さんのプロジェクトの中で「日々の挑戦を旅のように楽しむ人」であるトラベラーが交錯し、何かが起きていくことを狙った場づくりがある。そこで熟考されることは、「初期設定のデザイン」と「時間の単位を色々に区切る」ことだそうだ。
「初期設定のデザイン」というのは場の自由度であり、決め事・制約が多ければリスクは少ないが、偶発的に何かが起きていく面白さ、予想される結果を超える可能性はぐんと減ってしまう。2つ目の「時間の単位を色々に区切る」というのは、最初の目的に向かって一心に団結し邁進できても、その後同じメンバーで同じようなことを継続しているとやはり必ず停滞が出てくる。健全に変わっていく、新しい空気を常に入れていくために、関わる人達が自然に入れ替わり立ち代わりできるような仕組みを心掛けられている。

 行政の手法や関わり方は地域によって大きく異なり、活動拠点の福岡と横浜は正反対と言う程の違いがある。地域の成り立ちや住む人の気質の違いもあり、何が良い悪いと一概には言えないが、行政との関わりを通じてよりご自身のお仕事に幅と深みを持たせようとされていると感じた。


<<質疑>>

●現在の保育施設を取り巻く環境では、騒音問題があったり施設の規制も多い中で、どのような取り組み、どのような変化がもたせられると感じていますか。

→ イタリアのレッジョ・エミリアというまちの学校で実践されている教育で、数ヵ月~1年という長期でのプロジェクト活動を子どもと保育士、保護者が一体となって掘り下げていく活動をしたり、園内にアトリエや広場があり、自分で考え創造していく力を養うことに重点が置かれている。

 京都造形芸術大学の行っているこども芸術大学は教育現場で必要なスキルから、芸術方面でも専門的に学び、現場で子ども達の創造性を高めていけるようにしている。

 クラス分けだけではない時間が設けられ、様々な分野の興味があるクラスに行くことができるようにしているつくりの所もあり、そうした教育や施設に力を入れることで、地域としても独自性が出てくる可能性がある。
 
 地域の中で子どもを騒音などから隠していったり、逆に防犯でどんどん閉鎖的になっていくことは良いことではない。障がい者施設の事件でもあったように、地域の中にどれだけ多様な人が普通に生活し、触れ合う機会があるかが大事である。


●野田さんは先駆的なプロジェクトを多数行い、成功させてきていらっしゃいますが、どのように志同じくして活動するメンバーと一緒になった(集めた)のですか。古くからの友人だったのですか。

→ 古い友人ではなく、新しい人脈をどんどん作っていったことからできた仲間。「情報を集めたい、こういうことがやりたい」となった時に、それを大体自分の感で見当をつけた飲食店に行って、その話をして興味のありそうな人や、面白いことをしている方、場所を紹介してもらう。その積み重ねで人脈を増やした。また、プロジェクトをしていく中で変わっていくこともある。

●先の質問に関連して、いつも行政主催の活性化や景観についての市民会議には決まったメンバーのおじいちゃんしか大体来ない。活動しているメンバーもほぼ同じ。もっと多様な世代の人と考え、主体的・継続的に行動に移せるようにするにはどうしたら良いと思われますか。

→ 少しづつやり続けていく、可視化し続けていく、ということが重要。行政との関わりで言えば、やはり行政側が一方的に音頭をとってやっていくことではなく、「個々の暮らしを豊かにしたい、もっと良くしたい」という思いから住人がつくっていくことが望まれると思う。どのようにしたいかを主体的に考えていく機会がもっと必要ではないか。そうしたことを根底に、「横浜都市デザインビジョン」もつくられており、ワークショップも行った。

 更に、やはり幼少時からの教育として「自主的に自分のまちを考える・地域を意識する」という場が重要だと思う。


<<考察・感想>>

 個人的にずっと興味を持ち続けてきたことだったので、更に色々な切り口や見方からのお話は大変勉強になりました。まだまだ知識が足りないと感じたので、2倍速を実践したいと思います。

 人と人を交錯させ、様々な時間の単位を作り常に新しい空気を入れていくということも、とても面白いと感じましたし、それをやり続けることはやはり努力がいることだと思います。野田さんにお会いしてお話をさせて頂く中で、こうした取り組みを根気強く続け、かつ成功に導いているひとつの要因は、客観性にあるのではないかとふと感じました。

 建築家がご本業でありながら、人の交流やイベントのプロデュースにも徹するということは、とにかく客観的に冷静に見続け、分析する。かつ、ご自身もとても楽しんでいらっしゃるのだと思います。(根底から全く違ったら申し訳ありません!)
 おそらく、それは「ホームタウンが5つあります」と仰られていたこと、「それぞれに遠くの場所にいる時は、近くのことばかり考えて、あるひとつの場所がまた近くなってくると急にそちらのことを考えられるようになる。」 ということから感じたことだと思いますが、「主体的でありながら客観的な視点を常に持ち続ける」という感覚が養われているのではないかと思いました。

 ただこれは意外と行政にいる人はありそうでない発想ではないかと思います。なぜなら「できる限り地域のためになることをしよう、盛り上げよう」というスタンスが、その地方公共団体で働いているからこそ、「そう思わなければいけない、地域活動には主体的にどんどん参加しないといけない!」と感じているような気がするからです。(もしくはその部署をとにかくやり過ごそうと思っている人はそうも思いませんが)

 そうではなくて、今回の中で出た「一住民として、どう思うか、どんな風になったらもっと楽しくなるか(もし実際に住んでいなくても)」ということを一住民として主体的に、かつ、きっかけを作りプロデュースしていく側として徹底的に客観的に、でも「一緒に」取り組んでいく、というポジションなのかなぁと思いました。

 そして、どうしても行政側から見ると何でも決めておかないと済まない体質があると感じるので、いかに余白を持たせつつやっていけるか、どのようにきっかけを作るか、そしてそれをどう繋げていくかが課題だと思います。

 今後、野田さんの益々のご活躍と、人環SCDのメンバーがたくさんの楽しいプロジェクトを、公・民どちらがきっかけでも発展させていけることに希望に胸膨らませたいと思います。 どうもありがとうございました

no.d+a(number of design and architecture)
http://konya2008-2014.travelers-project.info/303-08/

●野田さんの対談がダウンロードで読めます
http://www.tarl.jp/cat_output/cat_output_art/869.html